ストレスで心が疲れていないか?
es-nakamura(@NakamuraEs)改めお父さんだ。
このブログはお父さんの子供達である君たちに向けて書かれた人生をより良くするための指南書だ。好きに活用するといい。
今回はメンタルの話の第3弾だ。
以前の記事で、メンタル不調になりやすい特徴や資質の良さ、その資質を生かした生き方について伝えてきた。
今回は、このような資質や特徴を持つ君達の参考となる仏教の教えや考え方について、話してみたいと思う。
お父さんも歳のせいか、最近どうもこういった仏教の教え的なことが心に染みるんだ。
頑張りすぎでメンタルを疲弊させやすい君達には、しっくりくる考え方だと思う。
仏教の教えの神髄 「中道」
昔から、葬式や法事でお世話になっている「仏教」だが、若い時のお父さんはその教えを何も思っていなかった。
だが最近はなぜか、墓参りを大切にするようになり、仏教の教えについても興味を持つようになってきた。
社会の荒波に揉まれ、自分の力の及ばないことが多くなった結果なのか、子供ができて親となり、代々の墓を守るという自覚が芽生えたのか分からないが、そのようになってきた。
墓参りに行くと、なぜか心が落ち着く。
また、法事などでお坊さんの話を聞くと、また落ち着くのだ。なぜなのだろうな。
そんな中で、仏教の本や記事を読むことが増え、その教えが今の自分に合っているように思えてきた。
お釈迦様(ブッタ)はすごいなと歳をとって分かるようになってきたよ。
その仏教の教えの神髄が「中道」という考え方だ。
意味としては、「2つのものの対立を離れていること」。
分かりやすく言えば、怠け過ぎず、頑張り過ぎず、ちょうどいいところを目指すという生き方だ。
いつも頑張りすぎてしまう君達にとって、この考え方はとても良い教えになると思う。
君達も既に知っているかもしれないが、お釈迦様(ブッタ)がこのような悟りを開いた経緯を少しだけ説明しておこう。
貴族の息子として生まれたブッタは、それは良い生活を送っていたそうだ。
貴族の息子だから、想像するにお金もあり、召使いなんかもいたのだろうな。羨ましい。
欲しい物を言えば何でも買ってもらえ、毎日おいしい物を食べられると思う。
何一つ不自由のない生活を送っていたと推測できる。
しかし彼は、そんな恵まれた環境にいながら、病気になる不安、死んでしまう不安、今の環境がいずれなくなってしまう不安etc.いつも多くの不安を抱えていたそうだ。
なんとかこの不安と苦しみから解放され、心穏やかになりたいと願った彼は、必死にその方法を探すようになった。
座禅を組んで、心を落ち着かせて考え続け、1つの答えを見つける。
「不安や苦しみがあるのは、欲があるからだ。」
欲があるから、それを求めることで、苦しみ、不安になる。
欲は際限がないので、欲を満たせない苦しみを永遠に抱えることとなる。
そこでブッタはこの「欲」を断ち切るために、厳しい修行を始める。
愛する家族を捨て、飲まず食わずで欲を断ち切る修行を仲間たちと実践していくわけだ。(お釈迦様、やりすぎ!)
しかしながら、なかなか欲を捨てることはできなかったようだ。
死ぬ寸前まで自分を追い込み、欲を捨てようとしたのに、思いとは裏腹に過酷な状況になればなるほど、生きようとする欲が強くなるばかりだったそうだ。
人間の生きる本能だから、仕方がないことだが、ここで「欲を捨てるのは無理だ。」という思いに至る。
そして修行をやめるの。
その結果、この「中道」という考え方に行きついたようだ。
「欲を捨てるのは無理だから、生きていくために必要な欲はそこそこ満たし、それ以上は望まず、心が穏やかになるちょうどよいポイントをみつけ、維持することが重要である」という結論に最終的に至る。
そうすることで、不安や苦しみから解放されるということを見つけたのだ。
この話を本で読み、お母さんに話したことがあるんだ。そうすると、お母さんは言った。
「そんなこと、そんな厳しい修行しなくても、分かるやろ?」
お釈迦様全否定のお母さんはすごい人なのではないかと思ったよ。
そして、「お母さんは、すでに悟りを開いている。。。」とお父さんは感じた。
振り返れば、家事に育児に多忙で過酷な毎日を送っているにも関わらず、彼女のメンタルは全くブレない。
授乳がある時期は、3時間に一回は夜に起きて睡眠不足で疲れているにも関わらず、お父さんのようにメンタルがブレないのだ。
しかも、「私は幸せだー!」といつも豪語している。「特に何も頑張ってないけど、上手く行ってるわー」って(笑)
ま、まさかこの人、無意識のレベルで悟っている菩薩では?と最近は思っている。
お父さんはよく弱音を吐くので、嫁に悩みなどを相談するのだが、お母さんのアドバイスはいつも的確だ。
お父さんの理解が遅く、いつも半年遅れで実践できるようなり、うまく行ったよと報告すると、「だいぶ前にいったやん。人の話聞いてるの?」とよく怒られる。
よくお父さんに「そんな生き方しかできない、あんたは不憫だわー」と憐みの言葉を言ってきますが、その一方で、「それがあなたの良い所で、私にはないすごい才能だと思うよ。そのままでいいんじゃない?じゃないとあなたじゃなくなっちゃうと思うよ。」とも言ってくれる。
「苦しんでメンタル不調になるのは、今に始まったことじゃなく、いつもやっているでしょ。あなたの人生のルーティーンだから、抜け出そうとか諦めなさい。無駄よ。」とも言う。
今のまま、ありのままでいいのだと再認識する言葉だ。
こんなにも近くに悟りを開いている菩薩がいたと思うと驚きだが、お父さんは何かあればいつもお母さんの助言をもらうようにしている。
頑張りすぎて、視野が狭くなっているお父さんの目を一瞬で開かせる存在だ。
「中道」の実践
さて、考え方が分かったはいいが、実践するのは至難の業だ。
何せ消費社会かつ管理・監視社会の今の世の中は、欲望と煩悩、そしてストレスの塊と言えるからだ。
かといって、そう難しく考える必要はないとお父さんは思う。
要は、君達の心が満たされ安定すれば、それで良いのだから。
君達がメンタル不調になる原因は、その高すぎる資質のせいだった。
その資質は、良い仕事をしよう、より良い人生にしよう、良い人間であろうという素晴らしい考えに基づくものだ。
一方で、この考えも根底は、良い意味での「欲望」だ。
「欲望」は、人生をよりよくし、成長を支える原動力だ。
無理に抑える必要はない。しかし、行き過ぎた「欲望」が君達を苦しめることになる。
思うように満たせない不満、成功させたいという欲求が君達を不安にし、苦しみを生んでしまう。
従って、良い意味での「欲望」をどうコントロールしていくかがポイントとなる。
ある意味、仏教の教えは、心穏やかに生きていくための問題解決法であり、欲求管理の手法と思う。
そういう局面が多々ある人生において、お父さんが実践していることを伝えておく。
子供達や家族と何も気にせず、遊んでいる時によく感じる。
「もうこの時間があれば、何もいらないや」と思う時がある。おそらくこの状態が「中道」の状態ではないかと思う。君達にも経験があると思う。
何も欲さず、ただ今の時間を堪能している状態と言える。
ただし、その時間が終われば、そこで終了し、長続きしない。次の瞬間には消えている。
ここが、お釈迦様とお父さんのような修行の足りない人間との違いなのだろう。
この状態が維持できないのだ。
お釈迦様の領域に達することは、おそらくはお父さんには一生かかっても無理だろう。
しかしながら、この一瞬ある「中道」の状態の数を増やすことはできると思っている。
そこで、君達もこの「中道」の状態の数を増やすことを考えてみてはどうかと思う。
「中道状態と思える時間を増やすこと」
君達にとって、心が満たされ、今のままで十分だと思える時間はどんな時だ?
その時間を増やしてみよう。
お父さんは「子供との時間」「お酒を飲みながら、夫婦だけで話をしている時間」「良い映画やドラマを見ている時間」などが、その時間だと思う。
そんな時間をどんどん増やしていくことができれば、君達の至福の時間が増え、君達の心も安定してくると思う。
反対にその状態を邪魔するものを排除していこう。
私はよく週末になるとお酒を飲んで、夜更かしをしていたが、その結果、休日の調子が悪く、子供達との時間をつぶしていることがよくあった。
また、仕事をし過ぎて、疲れ切ってしまい、家に帰るのも遅くなると子供との時間そのものがなく、また休日は寝ているだけという状態になっていた。
そこで、仕事はほどほどにすることとし、お酒も控えるようにした。その結果、子供達との時間は増え、充実し、幸せを感じる回数も増えたと思う。
「瞑想」
「瞑想」というよりも、静かにゆっくりとする自分一人の時間を1日に一回は確保するようにしている。
深呼吸をして、ゆっくり穏やかな気持ちになり、「自分の人生の方向性が間違ってないか」とか、「何か心をざわつかせる問題はないか」とか、「良い状態になるには、どうしたらいいかな」とかをゆるく考えるようにしている。
最近はその時間を使って、You Tubeを参考にしてヨガもしている。心を落ち着かせるには効果的な気がしているよ。
「人生の目標と行動を一致させること」
自分の実現したいことに向かって、何かに集中している時は、とても大きなエネルギーが湧き、長続きする。
1つの物事に集中している時は、その瞬間に集中しているため、煩悩など皆無だ。
この状態も1つの「中道」の状態と言える。
しかし、お父さんの場合は、人から言われたことでなく、自分の目的と合致していないとこの状態にはなかなかなれず、長続きしない。
これは生きていく上では、なかなか難しいことなので、できないかもしれないが、これができるとグッとメンタルの安定度が上がる。
お父さんは仕事を一生懸命することをやめた。
会社勤めのサラリーマンがこんなことしていいのかと思うかもしれないが、正確には仕事を請け負う数を減らしたということだ。
過去のお父さんは、多くの仕事を任されることが良いことで、またそれをこなすことが大切だと思って、言われなくても同僚を助け、チームの利益のために頑張ってきた。
一方で、それは過酷なストレスを生み、メンタルの不調を引き起こし、家族との大切な時間を失う結果になった。
そこで、請け負う仕事の数を大幅に減らし、少ない仕事ながら、間違いのない成果が出るようにしたわけだ。
お父さんの人生の一番の目的は、「子供・家族の時間をより多く確保すること」だ。
お父さんは今の会社で出世する気は毛頭ない。そのために頑張ってしまうと、お父さんの目的は遠のいてしまうからだ。
時間はどんどん仕事にとられ、65歳まで働くこととなる。
がむしゃらに会社の仕事をこなすことは、お父さんの人生の目的に合致していない。
故にメンタル不調が発生する。間違った方向に資質を使っている証拠だ。
ただ、生きていくにはお金が必要だ。従って、働くしかない。
ということで、お父さんが働く目的は「生きていくためのお金を稼ぐこと」ということになる。これ以外ない。
この視点にたって、戦略を考えれば、「解雇にならない程度でかつ、周囲の信頼が損なわれないギリギリラインで、仕事の成果を上げていく」ということになるわけだ。
以前のお父さんなら考えられないことだが、意外にうまくいくものだなと驚いている。
お父さんが機能しなければ、他の誰かが補完する(今まで甘えていただけの人や本領を発揮していなかった人)だけで、組織は機能していく。すごいなと思う。
そして、お父さんの資質は、我が家の持続的成長と幸福度の向上のため使われるようになる。
その結果、我が家の財政状態・幸福度はどんどん上昇していっているわけだ。
すなわち、君達が持つその高い資質を何のためにどの方向に使うかだけの問題だ。
会社や周囲の人のために使えば、会社の利益が上がり、周囲の人は楽になる。
君達と家族のために使えば、君達の家計の経済状態がよくなり、家族の幸福度が上がるというわけなのだよ。
君達が望む方向へその資質を使うことで、君達のメンタルは安定する。
ある意味、「出世したい」「地位を得たい」「大きな権力を持ちたい」「人から良く思われたい」といった欲望を捨てることができたのかもしれまないね。
その結果、それらの欲望から発生する苦しみからは開放された。しかし、お父さんの欲望はまだまだ際限がない。
もっと子供との時間を増やしたい、働かなく良い状態の資産を得たい、もっともっと健康でいたい、世界遺産を回りたいetc.の欲望は尽きないのだ。
これからもこれらの欲望のせいで、苦しむことになるのだろうな。
しかし、これらの欲望はお父さんの本当にしたいことをマッチしているので、これらに向けて頑張ることは、何も精神的な負荷がない。
まとめ
仏教の話をテーマにメンタルを安定させるコツを書いてきたつもりだったが、振り返ってみると、結局は巷でよく言われているストレス解消の方法と同じことになってしまった(笑)。
改めて思う。お釈迦様、スゲー!
< 以上 >
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