元気にしているか?
Es-nakamura(@NakamuraEs)改めお父さんだ。
このブログはお父さんの子供である君たちに向けて書かれたお父さんが経験した人生のヒントとノウハウ集だ。
しっかり活用するといい。
今回は育児をする上で気をつけた方がいいことを伝えておこうと思う。
育児をしているとつきまとうのが「他者・周囲との比較」だ。
- 「競争」や「順位付け」で我が子がつらい思いをしないか、劣等感を持たないか?
- 積極的に競争させることで成長を促すことがいいのか?
こういった悩みを抱えるであろう君達に向けて書いたものだ。
人が存在する限り、どうしても比較するようになる。
そこに「嫉妬」や「優越感」といった稚拙な感情が入ってしまうと育児の本質からズレが生じてしまう。
その点に十分注意して欲しい。
近年の風潮はこの「競争」「順位付け」「比較」を嫌う傾向があるが、競争することや順位付けをすること自体は悪い事ではないので、一概に否定しないようにしよう。
大切な事は結果をどう扱うかという点だ。
その考え方だけブレないようにしておこう。
これらの事は「世界標準の子育て」という本を通して学んだことだ。
お父さんが持っているから、君達も読むといい。
近年の風潮
近年は「競争」「順位付け」「他者との比較」ということをしない傾向にある。
社会の風潮が「オンリーワン」という競争よりも自分の個性を生かした生き方を促すようになったからだ。
また特定の勉強やスポーツのみに集中して、比較や競争を行うことで、それらが得意でない子たちが「落ちこぼれ」というレッテルを貼られ、社会から取り残されてしまうからだ。
彼らはその分野において下位に甘んじているが、彼らが得意なもので競争すれば、上位に入るだろう。
そんな一面的な見方で優劣を判断するのは不公平だろうという意見が多数派となった結果だろう。
確かにまっとうな意見だ。
しかし忘れてはならない事がある。
現代の社会構造は「競争」をベースに構築されているという「事実」だ。
自分の行きたい大学に入るにも入試という競争があり、就職する時も競争がある。
会社に入って給与を上げるためにも競争しないといけない。
そもそも資本主義社会という構造が競争社会だ。
義務教育で「競争」を排除したところで、社会に出れば「競争」だらけだ。
ある程度、この構造を経験させておくことは必要ということだ。
すなわち競争させることや順位付けは必要な経験だ。
競争社会の弊害
競争は子供の能力を伸ばす原動力になることや目標設定の手段として有効だ。
しかし勝つことにこだわり過ぎて、それだけにとらわれるとほぼ確実に不幸になる。
競争を自分を高めるための手段として捉え、自己研鑽に励むことはとても良いことだが、他者を蹴落として勝とうとし始めると不幸の始まりだ。
オリンピック選手やプロスポーツ選手の中にはドーピングをしている人が一定割合いる。
自分の健康を害してなんの意味があると思う?
社会に出ても出世欲や保身に駆られ、他者よりも有利になろうとマウントを取る人間が多い。
残念な話だ。
全くもって意味のない事を彼らはしている。
こういう状況を見ると、「競争」って意味ないなと思う。
それに競争に勝ったからといって、得られるものは意外と少ない。
いずれ抜かれるからだ(笑)。
所属する地域で一番になったとしても、世の中は広い。
上には上がいる。
仮に世界一になったとしても、次の世代にいずれ追い抜かれる。
悲しいな。
競争に勝つよことにより、子供たちが何を得られるかを考えた方がいい。
「競争」「順位付け」の正しい捉え方
子供たちが所属するコミュニティ(小学校区や中学校区)において、平均よりも上位なのか下位なのかを知ることで、周囲の子供より優れている点(長所)と劣っている点(短所)を把握するのだ。
その順位自体にいいも悪いもなく、単なる結果だ。
その結果を受け、これから子供達をどう教育していくかの計画を修正すればいいだけの話だ。
子供自身にもその点を正しく自覚させることがポイントであると思う。
周囲よりも平均的に高い順位の場合、その子はその分野において高い才能を持っている。
その才能を子供自身に自覚させて、どんどんとモチベーションを高めてあげるといい。
逆に周囲よりも平均的に低い順位の場合、その分野は不得意なようだ。
もし、今後の人生や節目で影響が出るようであれば、フォローを入れるといいと思うが、そうでないなら放っておけばいい。
君たちの子供自身が不得意分野を克服したいという意思を見せれば、その意思を尊重して支援してあげるといいが、気にしてないようであれば、放っておけばいい。
競争や順位付けで子供の現時点での評価を確認し、今後どのように子供達を支援することができるかという視点で考えるのが正しい考え方だ。
子供が高い順位を取っている長所の場合
子供にその長所をしっかりと自身の強みであると自覚させればよい。
あとは勝手に子供自身でその才能を自主的に伸ばしていくだろう。
少し足りないようなら、次のステップの本を買ってあげたり、目標設定の手伝いをすればいい。
子供が低い順位をとっている短所の場合
子供が苦手意識を持っているようなら、わざわざそれを無理やり克服させることはない。
その時間を費やすよりも長所に目を向けさせる方が効率的だ。
子供が克服したいと意思を示した時は、克服する方法を一緒に考えてあげるといい。
子供に明確な目標がある場合
入試の対応など子供に明確な目標がある場合は、全体的にフォローをする必要がある。
苦手な事を放っておいたら、子供の目標が達成できないのは、問題だからね。
一緒に考えてあげるといい。
お父さんの経験談
お父さんは小学校の時、運動も勉強もよく出来た。
いわゆる「神童」というやつだ。
いつも「順位」は1位。
ところが中学校に行くと、お父さんより勉強ができる子も運動ができる子もたくさんいた。
2番手・3番手になっていった。
おまけに数学の正負の数でこけたので、数学はずっと下位ランク。
一方で地理・歴史は小さい時から興味があったので、何の苦労もなく、高得点連発だった。
あと、お父さんは致命的に絵心がなかったので、美術の時間は本当に嫌だった。
夏休みの宿題で絵を書いて、それをみんなの前で見せ合うという授業は、死ぬほど苦痛だった。
その後、お父さんは高専に進学したが、その瞬間から、下から数えた方が早い順位に低迷した。
大学に入れば、もう順位とかあまり関係なくなる。
高専や大学に入れば、おそらく自分がどんなに努力してもかなわないなと思うような人材が出現してくる。
世の中広いんだなと実感したよ。
就職の時は、お父さんは推薦枠を使ったから、ほぼ競争していないね(笑)。
こんなもんだ。
就職すると、同僚たちはライバルとなるが、初めは出世してやろうと思ったが、何度も話したように心身が不調になり、出世ラインから外れた。
しかし、この経験やお母さんとの結婚、そして君達が生まれ、考えが変化していくようになる。
自分の設定するゴールを達成しようと思うようになったのだ。
競争はもう必要なくなった。
そう考えると最初から競争する必要なんてないのかもしれないな。
他者との比較
「あの子よりもうちの子の方がよくできる。」「あの子はあんなに出来がいいのにうちの子は!」という言葉が育児世代の親からはよく出る。
これは良くない。
基本的にはこのような言動は控えた方がいい。
このような言動を子供にしていると、子供達は勘違いをする。
相手の子を自分より下に見たり、逆に自分はダメな子だと錯覚してしまう。
お父さんは君達が大好きで自慢の子供達だから、人よりも優れている点をよく言ってしまう。
そのことでよくお母さんに怒られた。
親というものは、自分の子供が可愛くて仕方ない。
世界で一番優れているのは、自分の子供だと思っている生き物だ。
よって、人より優れた点があると自慢し、劣っている点があるとやる気を起こさせたいという思いでこのような発言をしてしまう。
これらの言動の根源は「親の勝手な思い」であり、子供たちの気持ちに寄り添っていないから、良くないのだ。
なるべくしないようにしろ。
言うなら、子供のいないところで、お嫁さんに向かってだけやっておけ。
このような感情に支配されたものではなく、客観的に他者と比較することは問題ない。
自分の子供の成長具合を確認できるからだ。
ただし、比較する相手により変わってくることをよく認識しておく必要がある。
大きなくくりで平均値と比較していくのが良いと思う。
そこから特定の集団や人と比較するのであるならば、子供と関係のある集団や人と比較するのが良いだろう。
その中で優れている点や劣っている点を確認して、次に取り組むべきことを決めたらいいと思う。
何も考えずに、近くにいる子供と目的もなく比較しても、なんの意味もない。
ただ子供を調子にのらせるか、自信をなくさせるだけなので、無意味だ。
この点をよく注意しておこう。
まとめ
- 「競争」や「順位付け」、「他者との比較」をすることは悪い事ではないが、その目的をしっかりと認識しておこう。
- 子供の長所と短所を確認することと成長度合を客観的に見るためのものであり、その結果を基に今後の取り組む事を考えていこう。
- 他者に勝つこと、順位を上げることを目的にしてしまうと、不幸になるから気をつけるように。
- 不用意に他者と子供を比較するような言動をしないようにしよう。
< 以上 >
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